イントラネットの出現で事情が一変した。情報システムが経営の神経系統として使われ始め、企業の生死を決めるカギとなった。そして今までのように、コンピュータメーカーに丸投げしていられなくなった。そんなとき、情報産業をどのように見ていけばよいのか。今回の連載はその一つの見方を示したものである。
われわれが過去において築きあげてきた組織の情報伝達は、経営上の情報を集中し、なるべく組織の上流で決定しながら下流に流していくという、いわゆる上意下達構造だった。日本人はこのシステムをうまく人的に補完して、効率の良い構造をつくり、世界に冠たる製造立国となったのである。
ところが、インターネットやイントラネットという強敵が現われた。すべての情報を、メールやウェブで社内全員に瞬時に伝達することが可能となった。
こうなれば、ただ単に情報伝達することと、ビジネス上の決済をすることを分けて考えることができるわけだ。まず全員に情報を流しておき、そのうえでビジネスのディシジョンをすることができる。すでにお気づきのことと思うが、これで会議の在り方が大きく変わることはいうまでもない。
過去のシステムでは、情報伝達のための会議が多かったのだが、全員に情報を流してから決済するとなれば、会議やメールを使ってディシジョンの分散化を行い、組織に柔軟性をもたせることができる。
市場に対しては、いままでできなかったような対応ができるようになったのだ。市場の方も、そのような柔軟な対応、すなわちサービスを企業に求めるようになってきた。
米国は、インターネットとイントラネットをフルに使って既存の市場を揺るがし、新市場を創造しようとしている。これは、米国の世界市場に対する挑戦であり、日本はそのあおりを受けている。現実に、日本の大手企業が倒産したり、欧米企業に買収されたりしているではないか。十年前、この現状をだれが想像しただろうか。
このように考えるとき、情報システムの話は全体の変革の物語のほんの一部に過ぎないと感じる。
「変革の瞬間」として、中心的に考察されなければならない事柄と順序は、「市場は何を要求し始めるのか」、「われわれはどんな社会をつくりたいのか」、そのために「企業はどのように対応しなければならないのか」、そして「情報装置はどうあらねばならないのか」ということなのである。
これからは、「全体をきちんと考えなければ、部分はありえない」と肝に銘じるべきだ。