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変革の瞬間−5
ビジョンの定義
ビジョンの定義

昨年末、サン・マイクロシステムズのスコット・マクネリー会長が来日し、あるイベントの基調講演で「エンドユーザーの皆さん、コンピュータを私どものようなところから買う時代は終わりました」と切り出した。
 それがその講演の主題でもあり、彼のビジョンでもあった。
 この話の顛末は別の機会に回すが、これを聞いた聴衆のなかには、「スコットもついに気が狂ったか」と思った人もいた。
 しかし、それは大間違いである。スコット・マクネリーは極めて現実派だ。サンは、ガレージから出発して1兆円企業になった会社である。それを引っ張ってきた彼が現実派でないわけがない。
 ある講演会で、「私をビジョナリーというがとんでもない間違いだ」と言った。彼は本気で言ったのだ。
 彼にとって、ビジョンは今を実行するためのものなのであり、行動があってビジョンがあるのではない。
 日本でよく耳にする「将来日本はどうなるか」という議論などは、荒唐無稽な発言の連続で、それをビジョン討論会などというから誤解する。ビジョン討論会を繰り返しても、事の解決に必要な行動が起こってくるとは思えない。ビッグバンのように、行き着くところまで行ってしまって初めて事が起こるのである。
 日本におけるビジョンとは、まず現在がありその次にビジョンがあるという位置づけだ。
 この構造では、ビジョンによって「変化」は起こるかも知れないが、「変革」は起こらない。全体がうまく流れているときには日本的なビジョンでいいが、急カーブを切らなければならないときには役に立たない。
 アメリカでのビジョンとは、行動のためのものの見方である。コンパックの社長交代もそうだ。売り上げがちょっと悪くなって社長交代となった。アメリカはひどい国だといいたいだろうがそうではない。ビジョンの辻褄が合わなくなったから、新しいビジョンをもった社長を据えて経営の筋書きを変えようとしたわけだ。
 つまり、ビジョンを変えることによって行動を変えるのである。
 経営コンサルタントであるピーター・ドラッカー氏は大変な親日家であり、ある意味で日本の経営者の先生である。彼はみんなに自分の考えを実行してもらいたくて、何回も来日して講演した。
 しかし、聞く方は将来の話として聞いていた。だから、彼が言っていたことは今でも実行されていない。もし、少しでも実行に取り掛かっていたら、今の日本の閉塞感は緩和されていたのではないか
 今こそビジョンに裏打ちされた行動が必要なのである。

1999年 6月7日

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