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変革の瞬間−7
フィードバックのメカニズム
フィードバックのメカニズム

哲学者の池田昌子氏によれば、哲学と思想とは違うという。私もそう思う。同氏の著書『考える日々』(毎日新聞社刊)にこんな記述がある。「マルクスという人自身は、あれらの考えを、最初から最後まで自分の頭ひとつで考えた……あれらのオリジナルな考えを考えているまさにその時点においては、明らかに哲学していたといえる。
 しかし、……言葉にして本にして、世の中に出しちゃったもの、それはもはや思想なのである。……哲学が伝播できず、思想のみが伝播できる理由が、これである」と。そうか、哲学とは人の行動規範のことなのだ。人はほかの人の哲学から生まれた思想を、読んだり語ったりしながらできた自分の哲学によって行動する。そして、思想とは生活現場の認識の仕方なのだ。
 さて、日本でいうビジョンとは、どうも、いま行動していることの正当性を確認するための情勢認識、つまり思想の位置づけとでもいうべきものではなかろうか。しかも、この思想は主として欧米から入ってきたものだった。そして今、思想をキャッチアップする時代は終わり、自らの産業哲学をもたなければならなくなったのだが、まだそれを見出せず、すっかり元気を無くしている。
 メインフレームの時代には、IBMがコンピュータ産業のビジョンを担ってきた。ほかの会社は、IBMのビジョンを分析して隙間を探し、ニッチビジネスを展開した。マイクロソフトですら、OS/2の問題でIBMと決裂するまでは、全く同じ道を歩んでいたのである。
 そのIBMが、大変革を遂げて変身したのだから、情報産業界で商売するものは自分自身の行動規範をもたなければならなくなった。米国のソフトウェア業界はその変革を的確にとらえて、新しい流れをつくり始めている。この新しい流れこそ「見えざる手」の動きを知る手掛りなのである。日本の企業も自らがビジョンをもち、米国のソフトウェア業界の流れをしっかり見て、その是非を検証していく必要がある。
 自分のビジョンとは、そこらに転がっている思想のなかから自分に合うと思うものを拾いあげ、自分が考えたような振りをすることから始まる。そして、「私はこう思うが、だれだれもこう言っている」と順序を変えて口に出せば、強烈な反論を食うことは必至だが、しっかりしたビジョンに成長することも確かだ。
 反論が恐ければ、何回も何回も自問自答すればよい。こうしてでき上がったビジョンが有効かどうかそれが問題だ。ソフトウェア産業の新しい動きを十分説明できるだろうか。もしダメならビジョンの修正と補強が必要である。このフィードバックメカニズムこそ、閉塞感のブレークスルーを可能にするのである。

1999年 6月21日

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