世界は明らかに視点を変えて、「ソフトウェアとそれをサポートするハードウェア」を買う時代に動いている。もちろん、日本もわかっているのだが、本当にそのことを身に染みて理解し、軸足を移して行動してきたかといえば疑問だと言わざるをえない。
ところが1人、このことをはっきりと自覚して行動し、自社のコンピュータ事業の在り方を変えた人がいる。いや、自社だけでなく日本のコンピュータ産業を変革したといってもいい人なのである。ソフトがすべてIBMアーキテクチャに集まる構造を見て、ハード的にはすばらしかった自社のマシンを捨てて、IBMコンパチ路線を敷いた富士通の池田敏雄がその人だ。彼がいなかったら日本のコンピュータ産業はひどいことになっていただろう。
その後、われわれは彼の「ビジョン」を引き継いで、考え続けてきただろうか。もしそうだったら、80年代後半から米国がそれまでよりさらに一歩踏み込んで、ソフト主導型へ動きだした状況をキャッチできていただろう。残念ながら、池田敏雄亡き後、日本のコンピュータ産業は、経営ビジョンの軸足をハード中心に残したままなのだ。日本のソフト産業があらゆる面で弱いのはそのためだ。つまり、産業の仕組みの問題なのである。軸足を変えるとは、そんな仕組みを変えることだ。
そんなことをくよくよ考えているうちに、米国はさらに一歩先へいってしまった。スコット・マクネリーは、「エンドユーザーがコンピュータを買う時代は終わった」といっている。彼は大真面目に、「自分でコンピュータを買ってシステムを維持する時代は終わった」といっているのである。
ピーター・ドラッカーは、「情報のあるところに人が行って仕事をするのではなく、情報が人のところにくる」といった。マクネリーは、「家でも会社でもスイッチやコックをひねると電気がつくし水が出る。同じようにソフトも電話線から流れてくるようになる」という。
電話の受話器をあげると「ツー」という通話音が聞こえるように、コンピュータ端末を起動すると、ウエブトーンがしてブラウザをクリックすれば必要なサービスを呼び出すことができるのだ。電話さえあれば、世界のどこからでもオフィスと同じ環境で使えるわけだ。コンピュータなんて、どこにあっても結局電話線につながっている。だから、そんなものはどこにあってもいい。このようなモデルを情報ユーティリティモデルというが、世界は徐々にこの流れに沿って進んで行くと思う。「そんなことになるはずがない」と考えるのも1つの見識であるが、それではどうなるのかを考える必要があろう。