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変革の瞬間−1
「日本」がとれた背景に・・・
「日本」がとれた背景に・・・

「日本サン・マイクロシステムズ」として十数年親しまれてきた社名から“日本”が消えた。「多分、本社から指示が出たのだろう」と推察するのだが、私の興味はというと、なぜ“日本”が取れたのかということである。
 だれかとだれかの主導権争いであるとか、世界制覇の野望であるなどという巷の噂話はどうでもよい。問題は、その背景には米国的なものの考え方があり、「グローバライゼーション」という言葉が深く関与しているということなのだ。
 昔から、同じような言葉に「インターナショナル」というのがあった。ところが90年代に入ると、口をそろえて、「グローバル」と言い出した。
 「“日本”の取れたサン・マイクロシステムズ」を見るとき、この2つの言葉の違いによる構造的大変革が起こったことが分かる。
 どんな変化だったのか、上図を見てもらいたい。インターナショナル・カンパニーの場合、本社も現地法人も組織的機能的に独立しているが、グローバル・カンパニーの場合はボーダーラインを超えてあたかも一法人のように見える。
 これまでの外資系企業には、例えば米国本社には日本担当の副社長がいて、日本におけるビジネスの実行とその責任を一手に引き受けていた。だから、その人に日本の実情をよく説明して納得してもらえば、日本でのビジネスを展開できた。
 しかし、グローバライゼーションの概念はそのような組織運営を根本から覆してしまったのである。それが図に示した大変革で、営業、マーケティング、人事、法務、経理などの仕事を本社に直結して責任をもたせることとなったのである。
 日本という社会システムは玄人にとっても分かりにくい。担当者は、日本だけでなく世界何十か国の現地法人を相手にし、課題を与えられたら素早く実行しなければならない。担当者は相当困惑したに違いない。そんなとき、“日本”を取る話が出てきた。これは、グローバライゼーションというアメリカンカルチャーに合致したから、たちまち決定してしまった。
 ここで重要なことは、それが構造的な流れのほんの一部だということだ。外資系企業が、欧米文化をもって活動を展開するとき、日本側企業はどう対応すべきなのか、いや、対応できるのか。日本側の問題としてとらえることにより、日本人のもっている閉塞感から脱却できるのだと思う。
 このような新しい流れがあちこちで起こっているが、本連載ではそんな事について考察していきたい。

1999年 5月10日

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