私は、ネットワーク時代に入り標準主義という今までになかった経営手法が台頭して、産業界は新しい時代を迎えたと考えている。われわれは過去、物に対する強い欲望をもっていた。その飢えたマーケットに対して、各企業は組織を中央集権的な構造にし、製品ラインアップを整えて自社の優位性を強調し、マーケットの拡大を図った。
そして、広大なマーケットシェアをもってビジネスを展開する企業が「成功した企業」と認められたのである。また、周囲の興味はその会社の社長に「誰がなるのか」、その社長が「どんな経営をするのか」、結果として「マーケットシェアはどうなるのか」などという観測と分析が、世の中の流れをつかむために大事なことだった。
かつて、コンピュータ産業では、「IBMは国家より強い」などといわれたが、そのお陰で、自前主義の企業同士がIBMを頂点にしてつくった強力な仕組みは、コンピュータ産業を全体としてきわめて安定したものにした。
この構造に風穴をあけたのが、個人のためという考え方でつくられた「パソコン」というコンピュータであり、コンピュータを標準インターフェイスでネットワークにつないで使おうという考え方に基づいた「ワークステーションビジネス」なのである。
驚異的な技術革新とネットワークに対する市場からの要望は、近代産業始まって以来の「標準主義」という考え方のビジネスを可能にし、そして次に、個々の企業は「自前主義対標準主義」という大きな戦いの渦のなかに巻き込まれてしまったのである。
さてここで、自前主義と標準主義の渦を別の観点から見てみたい。この渦には個人の意志では制御できない大きな力が存在していると思うからだ。ちなみに、標準主義の代表であるサンのスコット・マクネリーをマイクロソフトの社長に据えたら、マイクロソフトの自前主義ビジネスを変えることができるだろうか。そんなことはできないのである。
標準主義を標榜するなら、インターフェイス技術を公開しなければなるまい。そうすれば、減収減益となり株価は下がって、スコットは株主に首を切られるのである。
だから、マイクロソフトの社長を引き受けた瞬間から、ビル・ゲイツと同じ行動をとらなければならないのだ。直接の動機づけは株主だが、その背後で別の何ものかが強力なエネルギーを発しているのだ。それが、私の言う“見えざる手”なのである。
さらに私は、自前主義陣営と標準主義陣営の企業や製品群を貪欲に受け入れるマーケットのなかにつくられる流れこそ“見えざる手”の意志によるものだと考えている。