C community
「日本」がとれた背景に・・・  「見えざる手」のベクトル  ウィンテル環境から買う  ソフトをサポートするハード  ビジョンの定義  IT産業の行方  フィードバックのメカニズム  中央制御のないネットワーク  固定概念の打破  Javaとその思想  コンピュータに使われる人々  グローバルスタンダードは必要  変革のビジョン  標準主義と自前主義  オープンビジネス成功のカギ  標準主義への確信  日本が必要とするもの  変革をおこしたIネット  プロダクトインテグレーション  社会全体を捉えた情報システム  to Home
変革の瞬間−11
コンピュータに使われる人々
コンピュータに使われる人々

今、われわれの回りにあるほとんどのシステムは、コンピュータに人間の代わりをさせようとしてつくられたもので、企業の業務システムなどはその代表的なものといえるだろう。人手に頼っていた仕事を、少しずつコンピュータに置き換えてきたのだが、その結果、人はコンピュータの指示に従って作業し、いつのまにかシステムの子分のようになってしまった。
 磁気テープが主流だった頃の話だが、コンピュータ室を見学に来た人が、コンピュータの指示であちこち動き回るオペレーターを見て、「人がコンピュータに使われている」と言った。今、われわれが企業で使っているシステムは、この考えの延長線上でつくられているのだ。
 一方、こうした考えとは違って、コンピュータを人間の頭脳を補強補完する装置として開発する必要があると考えた人たちがいた。今では当たり前となってしまった「マウス」や「ウインドウ画面」、「ハイパーテキスト」などの概念は、もともとそのような考えに基づいてつくられたのである。
 しかし、コンピュータの初期にこのような考え方でシステムを開発することは実用的でなかったので、脳の延長として考えられたマウスやウィンドウズも、オリジナルな思想とは異なって、業務処理を便利にする技術として実用化してきたのが現実である。
 マウスの発明家として知られるダグラス・エンゲルバート博士は、インターネット技術などがやっと彼の思想を可能にするのを見て、昨年秋、シリコンバレーで“Unfinished revolution”と題したコンファレンスを開いた。
 目の前にあるインターネット技術を使って、もう一度ネットワーク化された情報装置を脳の補強装置として考え直そうというのだ。
 インターネットの時代になって、コンソールに向かってワープロやスプレッドシートのアイコンを押して作業したり、ウェブサイトからいろいろな情報を取ってきたり、メールを出すといった一連の操作を凝視して見ると、人の頭が個々のソフトウェアシステムの上に立って情報装置を制御していると考えられる。
 人がシステムに使われるのではなく、システムを頭脳の延長として使えるようになったのだ。
 米国の企業が急に元気になり始めたのは、コンピュータに使われている時代から脱却して、ネットワーク装置を使った情報共有やコミュニケーションによる新しいマネジメントを開始したからである。
 日本の企業経営も、「システムに使われることからいかに脱却するか」を考えねばならぬときがきた。

1999年 7月19日

pagetop