情報産業は、ものをつくってそれを「つなげる」という世界から、「つなげる」ためにものをつくるという世界に大きく転換し始めた。
電子メールやウェブなどの使われ方で分かるように、情報交換をするために「つなぐ」のである。目的が、「つなぐこと」ではなく「情報交換すること」であることを銘記しておく必要があろう。
そしていま、情報交換に関する技術的問題は解決されているのだが、一般社会や経営組織における情報閉鎖性がネックとなってそれを使いきれないため、必要な情報を共有、公開することを組織戦略、ビジネス戦略に取り入れたコミュニティがまだ芽生えるまでに至っていないのが実状だ。
メインフレームの時代には、情報共有、情報公開といっても、情報技術の制約により組織の内部だけの局所的なものだった。
米国はそんななかでも、自立した個人が多く市民の発言力が強いため、情報公開の精神が日本より旺盛だったが、それでも技術の制限によって全体としてその差は目立たなかった。
それが、インターネット技術によって世界規模できわめて安価に情報交換ができるようになって、米国がその機をとらえて積極的に情報開示や情報交換をビジネスに取り入れるオープンビジネスの流れを一気につくり出すと、日米の差は歴然としだした。
今、日本の産業界の構造転換として必要な情報交換は、「インターネットのユーザー数が激増した」とか、「携帯電話の普及が目覚ましい」などという量的なことが問題なのではなく、交換される内容の方がきわめて重要なのである。肝心かなめの情報が交換されているかということだ。
インターネットは、情報閉塞性の強い日本の社会に風穴を開ける救世主だと考えるべきだろう。
たしかに未熟な点もあるが、世界的規模の情報交換の場が、インターネットという形で確立して存在していることを認識すべきだ。
その場と機会に参加するためには、世界に通用する標準、つまりグローバルスタンダードを理解しなければいけないし、次には交換する情報コンテンツも標準化しようという動きが出てくることを考えなければならない。
今後、母国語を捨てて、英語にしようというアジアの国も出てくるだろう。これを米国の陰謀だという人もいるが、私は装置の標準化と情報コンテンツの標準化は別に考えたい。装置としてはやらざるを得ないだろう。
しかし、コンテンツはローカリティを確保すべきだと思う。そのためには、われわれの考えや発言がほかの文化に対して説得力をもつものにしていかなければなるまい。