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多様性を育む社会に向けた顔の見える流通機構

戦後日本の経済システムを世界第2位とした背景にある軸の考え方は、大量生産大量販売である。大量生産したものを大量に販売する販売網を通してマーケットに供給する、というシステムである。このようなシステムでは、物不足で生産が需要に追いつかない、システムの出来はじめは生産者がシステムの中心となるが、システムが成熟してきて物余りの時代になると流通機構側がシステムの中心となり、日本の現状は後者である。曲がったきゅうりは捨てるしかないのは流通機構の効率を悪くするからだ。このようなシステムは、皆が「同じもの」を使ったり食べたりする方向に社会が向かうベクトルを持つ。日本の生産者や流通機構はそんな中で、現場合わせみたいな感じでなんとか消費者の意向に沿ってバラエティーを保とうとしてきたが、米国労働文化ではそれができないから製造業ががたがたになって日本製品が世界を圧巻したのだ。しかしそうだからといっても、大量生産大量消費は皆が「同じ事をする」という、社会の多様性を奪うベクトルを持っていることにかわりない。

そんな時にネットワークの時代となり、今まで情報が得られないためにやりたくてもできなかった人たちが、その意志さえあればいろいろなことが出来るような時代となり、同時に社会の価値観も多様性を求めるようになった。これからは、例えば大企業でも良いし小企業でも良いし、都市でも良いし地方でも良いし、というように生きる上での選択技が個人の手元にあるような多様な社会にしたい、と多くの方が思っているのではないだろうか。

栃木でお父様が養豚場をやられていた方のお嬢さんが、これからは野菜作りをやりたいということで素人として十数年前に有機農業を始められた。彼女は全て口こみでそれをほそぼそ販売されていたのだが、そのうちレストランも含めて固定客が増えてきて、現在は宅配輸送を持って十分自立したビジネスとなっている。そうなると今度はそのお客さん達、特にレストランの方々に一年中野菜が届けられるように野菜づくりをせねばならない、ということでおいしい野菜に加えて、どうやったら一年中野菜ができるかと、品種や場所やといろいろ考えられているようだが、その方の話だと野菜づくりをしているときに、お客さんの顔がみえる感じだ、というこだ。そのようなやり方は今の主流の大量生産、大量流通の機構には乗らないので、現状では産業システムの周辺の位置づけだが、これからはそのようなやり方をシステムのもう一つの中心的なやり方として社会的に認知することによって、社会に多様性が育まれるベクトルが生まれると思う。農業に限らず同じような構造でいろいろ現状苦労されているビジネスを位置づけることもできるし、新しいビジネスのやり方が考えられると思う。その時に皆さんが共有できるのではないか、とSwimyの神谷英一郎氏と一緒に考えた図がこの図です。

顔の見える生産者・消費者

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